節分会の起源
かつては風神も雷神も鬼の姿や考えられていたように、鬼は神と同じく超人的なものでありました。それが仏教が中国から伝わるとともに一般に普及して、この鬼を調伏して仏に従うものにするという密教の修法が修験者などによっておこなわれました。
毎年二月に行なわれます節分は、この鬼を追い出す行事で、弘長元年(一二六一年)に奈良法隆寺の西円堂ではじまったのがわが国最初の節分会でした。その後、興福寺などでも鬼追い式がおこなわれるようになったのです。この節分会には、鬼は松明(たいまつ)をもって暴れますが、この松明をうぱった人はその年一年間は厄が除かれるというので、集った群集ともみあう場面がみられるのです。松明をうぱわれた鬼は追い払われて、一年の福が内にくるという節分の行事になっていったのです。
鬼は普通、青・赤・白・黒の四色の鬼が画かれていますが、これは災難を除くために四方に鬼を配置するということからおこった厄除けの守護神で、高松塚の壁画に青竜(東)、朱雀(南)、白虎(西)、玄武(北)という四つの神が画かれていますように、その色によって東西南北の鬼がきめられています。
今日ではこうした鬼の権威も失墜しまして、恐しい存在ではなくなりました。むしろ私達の心の中に鬼がすむようになりました。だから節分会は年中行事でありますとともに、わたくしたちの心の中に住む鬼を追い出す機会でもあるわけです。
◎生きとし生けるものは、みなすペて死なねばならぬ。世にたぐいなきこの師、大いなる如来、正覚者は逝いた(大般涅槃経)