手をあわす心

次男や三男の家にでもお仏壇はいるのでしようか

社会で生活をするときの中心であった家というものの恩恵を最も受けたのが長男なのですから、お仏壇は本家にだけあって、先祖の法事か何かで集ったときにだけ分家の連中はお参りすればいいのだというのも一応の理屈のようですが、生命の流れを受けついだのは別に長男だけではないはずです。それに第一、お仏壇はもともと仏さまをおまつりするための壇であって、お位牌壇ではないのですから、自分の信ずる処にしたがって魂の拠りどころを得るためにもお仏壇はおまつりしたいものです。

アパートの一室で、大きなお仏壇が不適当なら一葉の仏像写真でもよいではありませんか。敬虔な心をこめて朝夕両手を合わせるところに仏さまはいらっしゃるのです。

戦災のとき、二升のお米を持って逃げた人が、お仏壇の仏さまと先祖のお位牌と過去帳だけを風呂敷に包んで持ち出した主婦の愚かさを笑っていましたが、やがて前者は一家離散し、後者は七代目の家業を立派に営んでいる実例を私はお聞きしたことがあります。

お仏壇をおまつりすることによって、豊かな、あたたかい心を子孫に伝えたいものだと思います。