仏壇や祭壇に、なぜ花を飾るのですか
仏壇や祭壇を飾る供花はホトケにささげられたものなのに、なぜこちら側を向いているのだろう。これはホトケにささげること自体が自分にささげることになる、という供養の気持の表われで、共に養い、共に喜ぷことをあらわしているのです。仏教では殺生を禁じているので、仏に供養するものは香や食物や菓子などに限っているが、自分の善根功徳を積んで、それをひとに施せば、自分のためにも他人のためにもなるという考え方にもとずいている。これは自分のなした行ないがめぐりめぐって自分に戻ってくるということで自業自得、因果応服の原理から、自分のすベての行為に責任をもち、その結果を受け取らなければならないということである。
たとえば、わたくしたちが衣服をつけたとき、美しい方を外側に向けて身なりをととのえるのは、自分自身の身だしなみということだけでなく見るひとの心をなごませることでもある。仏に捧げる花も同様に、仏自身を荘厳すると共に、それを眺める自分をも満足させるのである。
供養というのは、自分自身を納得させる行為である。そのために追善供養から虫供養、針供養などあらゆる供養を行なう。その時、仏さまが実際にささげられた香華を眺め、物を食ペるわけではない。しかしながら、そうすることによって自分自身の心が浄められ、周囲の人びとの物も浄めていく、うるわしい行為なのである。
◎>まことに色うるわしく、あでやかに咲く花に香りなきがごとく、善く説かれたる語も、身に行わざれぱその果実なかるペし(法句経)