七福神とは何ですか
有名な太田蜀山人にあるお金持が、新築祝に何か一筆書いてくれるように頼んだところ「この家を貧乏神がとりまいて」と書きはじめたので、びっくりしたり、がっかりしたりしていると「七福神の出どころもなし」と続けたので大そうよろこんで軸物に仕立てて、家の宝にしたという話があります。
このように江戸時代以前から七福神は民衆の間に流行した神さまですが、どこのお宮でもお寺でも、一ヵ所で七福神をおまつりしたところが無いことでもわかりますように、実はもともと七体一組の神さまではなかったのです。
長い人生のうちには、どんなに一生懸命によいことばかりを心がけていても、いつか火難、水難、悪風難といった自然の災害や戦争、盗難、疫疾のような災害をいやでも味あわされてしまいます。
これらの災害をとりのぞくために、七福神が今のようにきまったのは、天海僧正が徳川家康に天下大平の基として七福神の徳を、恵比須は律義、大黒は裕福、毘沙門は威光、弁財天は愛嬢、布袋は大量、福禄寿は人望、寿老人は寿命を与えるもの、と説いてからのちのことだといわれます。そして恵比須さまが漁民代表であること、竹生島の弁天さまが特に有名だったことに加えて、珍らしい宝物は今も昔も舶来が尊ばれるところから陸路の歩行に比ペて、当時一番楽な乗物であった帆かけ舟に乗せて、その到来を願うことになったのでしよう。
こうして初夢の枕の下に七福神の絵が敷かれたり、初詣に七福神詣が行なわれたりするのは、私たちが人生を送る上に毎日必要な福徳を、一年の毎日のはじめであるお正月によくお願いしておこうというわけです。みんながニコニコしている七福神、お正月はそれにあやかった、ニコニコ顔を周囲の人に向けることから始めたいものです。
◎財を失うことの失は小なり、失うもっとも大なるは智慧を失うことなり(増支部経典)