お盆の行事
京都のお盆の行事は八月九日・十日、珍皇寺の迎鐘から始まる。鐘について精霊を迎えるので「六道まいり」ともいわれている。草市(盆市)が街で開かれて、人びとは霊祭に必要な品を買いそろえる。マコモや瓜で馬をつくるのは、精霊がそれにのってくると信じられるからで、一茶の「瓜の馬くれろくれろと泣く子かな」や、杜国の「瓜の馬 おぼつかなくも立ちにけり」に、精霊棚の景観がよく感じられよう。そして、準備ができると十三日の夕方「迎え火」をたく。祖霊を迎えるためにオガラを門辺や墓、浜辺でたく。
虚子の「風が吹く仏来給ふけはひあり」という感懐もだんだん薄れてゆくのは淋しいが、戦死した夫をまつる墓所で迎え火をたき、浄水をささげつつ、ある未亡人が詠った「照りつづく うらぼんの日の夕ペなり 涼しかれとて墓に水うつ」の一首には、誰しも胸を打たれるに違いない。
このようにして精霊を、荘厳した精霊棚に迎えて香をたき、三日間のあいだ家族そろって供養したり、棚経を読んでもらったりする。そして、このマコモや供物は、十六日に従来は麦ガラなどで造った舟(精霊舟という)に乗せて、ちょうちんに灯をともして海や川に流した。これを「お精霊流し」といったが今は保健上禁止されている。長崎の精霊流しは有名である。
また、この日の夜に「流灯」-灯ろう流しともいうが、灯ろうに灯をつけて流したりする行事は現在、全国の各地で行なわれている。家々の門辺にオガラをたいて精霊おくりをするのを「送り火」というが、京都の如意嶽の山腹に薪をつんで火をつける「大文字の火」や「船形の火」などは特に有名で、外国にも知られている。
◎慈眼にて衆生を視れぱ、福聚は海のごとく無量なり(法華経・普門品)