手をあわす心

お施餓鬼は何のためにつとめるのですか

寿命を延ばすためです。でも寿命はあなただけが持っているものではなくて、他人ももっているものですから、そこをよく考えて下さい。

私たちがあたりまえだと思って食ベている日常の食物は、極めて僅かの例外を除いてはみな他のものの生命なのに気付いているでしょうか。牛肉は牛の生命、おさしみは魚の生命、お米は稲の生命、パンは麦の生命であり、他のものの生命を取り入れることで、私たちははじめて自分の生命をつないでいくことができるのです。人間だけが他のものの生命をこんな風にいばって取る権利があるでしょうか。

自分の生命が大切なら、他のものの生命も大切だよと反省するのが、お施餓鬼のおっとめです。そしてもう一歩進んで、私たちも実は背中に餓鬼を一匹づつ

背負っているから、お互に生命を尊び合わなくては生きて行けないのだと考えられるようになると、もう少し世の中もおだやかになるのでしようが。

八月はちようど旧盆で、京都ではご先祖の精霊をお迎えする行事が各家庭でおこなわれます。このときに、お施餓鬼は何のためにつとめるのか、ということをよく考えてみたいと思います。

◎水を見て魚は住家と見る。餓鬼は血と見る。天人はルリと見る。人は水と見る(無性摂論)