手をあわす心

「魂ぬき」とはどういうことですか

掛軸であれ、木像であれ、造っただけではただの美術品や工作物であって、拝む対象にはなりません。それが拝まれるためには、単なる工作物に拝まれるに足る魂がはいらなければならないのです。

昔から一刀三礼というように、一度「のみ」を振うたびに三度その木像に礼拝して製作したといわれています。仏像などは心をこめて造られるものなのです。そしてそれが万人に拝まれるためには、作者の上手とか下手とかを離れて、仏さまの象徴となる必要があるわけです。これが「開眼」即ち魂いれですから、そういうものを修理に出すには、もとのただの工作物にかえす「魂ぬき」がいるのです。そして、修理がすんだら再び魂をいれる開眼の必要なことはいうまでもありません。

お仏壇の仏さまやお位碑は美術観賞用ではありませんから「手を合わす心を子孫にったえよう」という心がけを忘れないようにしたいものだと思います。

◎妄語の人は先ず自ら身を証かし、しかる後人誑かす。実をもって虚となし、虚をもって実となし、虚実顛倒して善法を受けず(智度論)