「お布施」とは
人間相互の生活のなかで、我欲ほど醜いものはありません。「むさぼり」はその我欲の現われた浅ましいものの一つであります。
仏教では、このような「我欲」や「むさぼり」を積極的に矯めるために「布施」の行を教えています。「布施」とは「施しを布く」ことで布とは敷布の布で、しわの寄らないように広く敷くことです。誰彼の別なく懇親平等に施すことです。仏の偈のなかに「願わくぱこの功徳を以て一切に平等に施す」という聖句があります。この「施し」には「有財の布施」つまりものを施すことと、「無財の布施」即ち、ものでなく心や行為を施すこととの二つがあるのです。
そしてこの「布施」を行なうにあたって、心得ペき三つの条件があります。特に「無財の布施」をおこなうときにっねに心に持っていなけれぱならないものとしております。
その一つに「布施」をしたならぱ布施したことを忘れること。二つ、与える時に、与えられる本人が切望しているものを、思い立った瞬間与えること。三つ、与える時には、自分にとって大切なものを与えることの三つです。
雪山童子の物語りは、世の中の人が幸福になる真理を求めるために、わが身を羅刹に捧げられました。これは自我と我執と我欲を離れて、すべてを投げ出したところに「入間本来無一物」の布施の本当の意味を教えているものだと思います。
◎得るところ少くとも、その得るところを軽ろんずるなかれ(法句経)