日蓮宗聲明師会連合会
立宗改宗七五〇年記念CD三部作
CD勤行
CD十種供養
CD法華懺法
CD命響
「命響(MEIKYOU)」制作ノート
1. 目的 |
東洋仏教の宗教普楽である「声明」と、西洋キリスト教の宗教音骨楽の「グレゴリオ聖歌」が、共に千年以上の歴史を持ち、成り立ち、そして旋律までもが驚くほど似ていて、洋の東西・宗教が違っても、人間の根底にある「何か」相通じるものが有ると思います。
宗教に強く求められているものの一つに「癒し」があります。特に近年「癒し」が社会的なニーズとまで言われるようになり、医学の面、そして音楽の面から様々な研究や発表がされるようになりました。ところが「癒し」の材料(その人にとって癒されると感じる物)は、千差満別です。バッハがいい人、ビートルズがいい人、そして本来人の心を高揚させるとされているビートの利いた曲などまさにバラバラです。そこで今回は何が人の心を癒すのかという材料に、「時間」を選びました。
「声明」と「グレゴリオ聖歌」の育った環境が寺であり教会であったということには異論がないと思います。そして、それらを生み、育て、継承してきた人々の頭の中には、神仏に捧げ、そして病んだ人々の魂を救い、病んだ人々の人の心を癒したいという思いがあったことは否定はできないでしよう。
そしてそれらの曲が人々のニーズに合い、千数百年継承され続けてきたということに深い意味があります。人の好みや流行には時代により差異があります。その「時代」という大きな流れの中で常に残ってきた物には、それだけで大きな「力」が宿っています。つまり「声明」と「グレゴリオ聖歌」には、「癒し」ということについて「時代」もしくは「時間」というフィルターを通っている。だからそれ自体を単に演奏することたけでも、「癒し」の効果が期待できるのです。そして東洋と西洋で継承され続けてきた「声明」と「グレゴリオ聖歌」が出合うこと(一枚のCDに入ること、そして同時進行で曲を唱えること)によってもっと大きな「何か」が生まれるのではないでしょうか。
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2. 柱 |
今回は「声明」と「グレゴリオ聖歌」というのが大きな柱になっています。
それだけならば既存の物をどこからか持ってきて並べればすむことです。先はどの項目に「同時進行で曲を唱える」ということを言いました。今までにも同じ「場」において「声明」と「グレゴリオ聖歌」が演奏されたコンサートはありました。
しかし「同時進行」と言うのはどうでしょうか?確証は有りませんが、世界でも初めてのことではないかと思います。もう一つの柱として「風」を持ってきました。東洋と西洋の大きな流れを風にたとえて、その風が少しずつふれあう様を、曲の並べ方やつなぎ方で表し、接者剤として「雅楽」使いました。(やはり雅楽も「時間」というフィルターを経ている)例えばそれぞれの曲の最初か最後で少しずつ曲を重ねる、効果者を入れるなどの技法で表現しました。そして東洋の影響を色濃く受けているドビュッシーを入れることにより、東洋と西洋の風が新たな風を表現しました。
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3. 曲目 |
SCENE1:現実逃避(大都市の街角、喧噪の世界から深山幽谷の世界ヘ) 1.沈める寺/しずめるてら(ドビュッシー作曲のピアノ曲前奏部のみ)
SCENE2:降臨天地創造(無の世界より創造の世界へ) 2.入祭唱/にゅうさいしよう(復活の主日/日中のミサに唱えられるグレゴリオ聖歌「私は復活し・・・・」) 3.初伽陀/しょかだ(僧侶が法要の時、お堂に入る時に唱える声明)
SCENE3:混沌離脱(創造に伴う混沌の世界から新しい世界へ) 4.平調調子/ひょうじょうのちょうし(楽器の調子をお互いに整える雅楽曲) 5.自我偈/じがげ(釈迦の不滅を説いた読経) 6.奉納唱/ほうのうしょう(復活の主日/日中のミサに唱えられるグレゴリオ聖歌「地は震えおののいた・・・・」)
SCENE4:光明夢(混沌の世界の向こうに有る、光に満ちた夢の国) 7.酒胡子/しゅこうし(宴の時に奏でられたと伝えられる雅楽曲) 8.対揚/たいよう(釈迦に帰依を誓う声明) 9.アレルヤ唱/あれるやしょう(復活の主日/日中のミサに唱えられるグレゴリオ聖歌「わたしたちの過越・・・・」)
SCENE5:伝説の彼方より(伝説の世界から未来への羽ばたき) 10.沈める寺(ドビュッシー作曲のピアノ曲全曲演奏。この曲はブルターニュの古い伝説に基づいて作られた)
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